WAKU JEWELRY Blog

和久譲治のジュエリーブログ

 

レナード・バーンスタイン(Leonard Bernatein)

 

 

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 まだクリムトの「ベートーヴェン・フリーズ」(参照)に魅せられています。ほとんど仕上がった金属原型(参照)製作は、レナード・バーンスタイン指揮のベートーヴェン「歓喜の歌」を聞きながらの作業です。フリードリッヒ・フォン・シラーの「歓喜に寄す」の概念をレナード・バーンスタインは本当に理解しているのでしょう、メロディーと概念と絵画が入りまじり、心に響きます。

「フリードリッヒ・フォン・シラー」、「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」、「グスタフ・クリムト」、そして「レナード・バーンスタイン」の流れ。

このうち「シラー」と「バーンスタイン」はユダヤ教徒です。

 曲が終わると、相棒はへルベルト・フォン・カラヤンのヨハンシュトラウス二世を大音量で響かせます。美しく、荘厳で、格調高く。

私の心地よい瞑想は、ドナウの流れのようなワルツとともに消え去りました。

私は好奇心や疑問で、頭をいっぱいにすることが好きです。

 私はレナード・バーンスタインのほうが好きだ! 田園風景の中、ユダヤ共同体の素朴な人々の姿が浮かぶ。

 

ロンドン留学中、ジュエリーメイキングを学ぶ、年の近いユダヤ人の友達がいました。よく話すようになった頃、彼は彼のお母さんが作る「ヨークシャープディング(Yorkshire・ pudding」を、食べに来ないかと誘ってくれました。エリザベス女王二世のシルバージュビリー(即位25周年・1978年6月2日)で休日の良く晴れた日、彼の住むロンドン郊外のまちに出かけました。車両の両側面がほとんどドアの通勤電車だったことも憶えています。

街に出ると、ほとんどの人は、山高帽に長いひげを蓄え、フロックコートの黒装束でした。ユダヤ人の居住区があることを、この時初めて知りました。

 白髪が混じり、少し外側にカールしたショートヘヤーの、ほっそりした彼のお母さんに迎えられ、さっそく三人での食事が始まります。家庭料理の ローストビーフとヨークシャープディングを、味わいながら静かにいただいた記憶があります。TVにはシルバージュビリーの映像が流れていましたが、だれもこのことに関しては言及しません。

 食事が終わり、お茶を飲みながらくつろいでいた時、私は浅い知識から、配慮のないことを言ってしましました。

 「Raid on Entebbeを見たけど、面白い映画だったよ。」

 実話である、イスラエル国防軍の「エンテベ空港奇襲作戦」をえがいたアメリカ映画(1976年、)で、国防軍兵士の英雄的活躍の話です。この映画以前に、第4代イスラエル国防軍参謀総長、第5代国防大臣の「片目のモーシェ・ダヤン」の活躍する「イスラエル建国」の映画も見ていました。平和ボケの日本人であった私は、恥ずかしいことに、「ユダヤ人=イスラエル」程度の知識しかなかったのです。

いつものように、彼は私の目を静かに、真正面から見つめ 言いました。

「僕は、戦争を娯楽にするのは好きではない。」

私は軽くうなずくだけで、なにも言えませんでした。共同体に暮らすユダヤ人でも各々が良く学び、よく考え、自分の意見をもっています。その時から私は大切なことを実行してきました。「自分の言葉を大切にすること。」、「一言でも自分が発した言葉には、全面的に責任を持つこと」です。そのせいで、融通利かないやつとして仕事をしてきました。日本では、軽口がコミュニケーションだと考えてる人さえ多くいました。

当時ロンドンで知り合い、友だちになった人は、静かに言葉を選んで話す人が多かったようです。話すことが楽しく、静かな喜びを感じたものです。言葉はその人の人格です。本を読むことも、その人を感じて会いたくなる人がいます。少し体力も回復してきました。静かにいろいろな文化を語り合える人に会いたくなりました。

 

 今、少しだけ解ってきました。「ユダヤ人」、「ユダヤ共同体」、「ユダヤ教」の言葉も、それぞれの地域性、歴史、概念があり、それぞれに派閥があり、決して安易な決めつけた観念を持つべきではないことです。

 

 

      

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