WAKU JEWELRY Blog

和久譲治のジュエリーブログ

 

WAKUコレクション(3)

 

1700's シルバー&ペーストジュエリーコレクション(2)

 

 

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1760~70年の頃、ポルトガルで、よく似たデザインと技法でトパーズのジュエリーが作られました。この作品は、当時フランスで流行していたペーストに金属箔を「Hammered  cloisonne setting」(参照)しています。購入したロンドンの老舗アンティーク店の主は、イギリスかベルギーで1760~70年の頃作られたと話していました。

この頃、マリーアントワネットが好み、流行したペーストジュエリーの色彩は、ピンクや鮮やかなブルーでした。パリでは金属部分を、出来るだけ少なく繊細に作ったことも考え合わせると、イギリスかベルギーの推察は正しいと思っています。

正装のご婦人に、着けて頂きたいさくひんです。

WAKUコレクション(2)

 

1700's シルバー&ペーストジュエリーコレクション(1)

 

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(1)1700年代 シルバー製ペーストジュエリー 4点

 

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(1)1700年代 シルバー製ペーストジュエリー(裏面)

 

1700年代のペースト(鉛ガラス)を使った、シューバックル(左上)と飾りボタンです。(後にブローチ加工されています)ルイ15世時代、ヴェルサィユ宮殿に集った貴族たちが、装っていたものと同じものです。製法は、基本的にコレクション(1)と同じですが、面白いヴァリエーションが見られますので、詳しく見ていきましょう。この変化の中に、ダイヤモンドのカットが進歩した時(石枠の裏張りがいらなくなった時、すなわちオープンセティングの始まり)現代的なパヴェセッチングに変化する兆しが見られます。(参照・長い文章です、マルボタンの写真を見つけてください)

 

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(2)左下・Giardinetto ボタン;和久ノート

 

和久ノート上段

17世紀末~18世紀、ヨーロッパ(特にイタリア、イギリス)で流行した「Giardinetto 」と呼ばれる様式のボタンです。多くは「花束」や「フラワーポット」のデザインリングが作られています。ただし、同じ様なデザインでも、作られた技法によって、年代の違いがあります。このボタンの製作技法は「和久コレクション(1)」(参照)

と同じであることは、和久ノートを見て頂ければ分ります。石枠表面のデザインを植物風に仕上げただけなのです。「Giardinetto 」とは、スペイン、ポルトガルで始まった製作技法のアレンジです。

 

和久ノート下段

「openwork」

一つ一つの石枠を作り、ロー付で組み合わせる方法から、写真(1)の上段と右下のように、石の密集したデザインでは、一枚の板から、デザイン全体を切り出す方法がとられるようになります。いわゆる「openwork」と呼ばれる、切り抜きの透かし細工です。そしてそこに一枚の板をロー付けしてcell(小部屋)を作っています。右下は厚めの底板をロー付けしたので、軽くするために、従来のように削り落としています。上段の二つは、最初から薄板を使っています。

 

「openwork・Giardinetto 」

宝石のcut技術が進歩すると、石の下をcell(小部屋)状態ににして、金属箔などを入れる必要もなくなります。18世紀の末期、イギリスなどで流行したのは、宝石の下が開いた「Giardinetto 」です。ですから裏面を見れば、作られた年代の一つの判断材料になります。

石留についての参考記事、記事中でこの作品写真をみつけてください。

私も「openwork・Giardinetto 」は好きなスタイルなので、「petite fiori 花シリーズ」でよく用いてきました。

 

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 「openwork・Giardinetto 」の小花を、槌目リングに合わせています。(小花の中はローズカットのダイヤモンドです)

「petite fiori 花シリーズ」・和久譲治

 

 

WAKUコレクション(1-2)

 

キリスト騎士修道会十字章

加工技術

歴史的見地から見た前述のように、「ポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルバァーリョ」が「ポルトガル王国総務大臣(1,750~1,777年)」に在った期間に製作されたと考えられるこの「キリスト騎士修道会十字章」の製作技法には、現代ジュエリーでは考えられないような技法が見られます。それらは、この期間のアンティークジュエリー贋作を見極める知識としても役立つはずです。

先ずは裏面んの全体像からご覧ください。

私は長い間、ポルトガル、スペインの石留は、大航海時代に、歴史的に関係の深いインドの「Gypsy setting(ジプシー セッティング)」に由来すると考えていました。しかし、この「キリスト騎士修道会十字章」の石留法を観察して考え続けた結果、イラン系騎馬民族スキタイの「Hammered  cloisonne setting」由来だと考えるようになりました。これから和久ノートを見ながら説明します。

 

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(1)キリスト騎士修道会十字章/裏面

 

写真(42)ガーネット象嵌(cloisonne  de grenats)と和久ノートを見比べてください。基本的な石留の考え方が、同じであることが分かります。Cell(小室)を作り、石の色を改善するための金属箔を敷いて、水などが入らないように、石にCellの金属を被せるように、叩き込むのです。スキタイの時代(紀元前9世紀〜紀元後4世紀)と「キリスト騎士修道会十字章」の頃の違いは、宝石のカット、研磨技術の違いです。より輝きを引き出すために、宝石はファセット(面)の集合体に研磨され、立体になりました。立体になった宝石を、Cellに安定させて埋め込む技術の進歩が見られているだけです。両者は同じ考え方で、宝石を留めています。研磨技術の違いが良く解る箇所があります。「キリスト騎士修道会十字章」のファセットに研磨されたガーネットは、複数の石が、ひとつのCellに埋め込まれています。他方スキタイのジュエリーは、一つのCellには、一つの石しか留めません。石と石の間に隙間が生まれ、密閉することが出来ないからです。また、スキタイのジュエリーは表面に金を張っていますが、それは装飾面だけでなく、叩いて伸ばしやすい金の属性のためであると思います。大きなギャップを密閉するためであったと考えられます。「キリスト騎士修道会十字章」のCellと宝石は、隙間なく細工されて、僅かに叩くだけで埋めこまれています。

1,700年代(ナポレオン登場以後は除く)のポルトガル、スパイン、フランス、ベルギー、イギリスなどのジュエリーが、写真(1)に見るように、船底のような形をしているのは、和久ノートで説明している「技法」のためです。宝石を埋め込み、中に密閉空間を作ったため、どうしても分厚い箱型になりました。その重量をできるだけ落とすための形状です。

 スキタイの「Hammered  cloisonne setting」がこの地方でみられることは、西ゴート王国(415年~718年)が南フランスからイベリア半島を支配した歴史に由来します。ゲルマン系のゴート族が黒海北から東ヨーロッパに居住していた時に、スキタイから伝播したと思われます。

石留についての参考記事、記事中でこの作品写真をみつけてください。

私は1,700年代のジュエリーに興味を持ち、コレクションしました。続いてご紹介します。

 

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(42)クリミヤジュエリー(Crimean jewellery),ガーネット象嵌(cloisonne  de grenats)の作りと 鳥型ブローチ(Fibule aviforme)、4世紀後半~5世紀;The Berthier-Delagarde Collection in British Museum:The British Museum(参照)

 

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\和久ノート

 

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(2

)

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