キリスト騎士修道会十字章
加工技術
歴史的見地から見た前述のように、「ポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルバァーリョ」が「ポルトガル王国総務大臣(1,750~1,777年)」に在った期間に製作されたと考えられるこの「キリスト騎士修道会十字章」の製作技法には、現代ジュエリーでは考えられないような技法が見られます。それらは、この期間のアンティークジュエリー贋作を見極める知識としても役立つはずです。
先ずは裏面んの全体像からご覧ください。
私は長い間、ポルトガル、スペインの石留は、大航海時代に、歴史的に関係の深いインドの「Gypsy setting(ジプシー セッティング)」に由来すると考えていました。しかし、この「キリスト騎士修道会十字章」の石留法を観察して考え続けた結果、イラン系騎馬民族スキタイの「Hammered cloisonne setting」由来だと考えるようになりました。これから和久ノートを見ながら説明します。
(1)キリスト騎士修道会十字章/裏面
写真(42)ガーネット象嵌(cloisonne de grenats)と和久ノートを見比べてください。基本的な石留の考え方が、同じであることが分かります。Cell(小室)を作り、石の色を改善するための金属箔を敷いて、水などが入らないように、石にCellの金属を被せるように、叩き込むのです。スキタイの時代(紀元前9世紀〜紀元後4世紀)と「キリスト騎士修道会十字章」の頃の違いは、宝石のカット、研磨技術の違いです。より輝きを引き出すために、宝石はファセット(面)の集合体に研磨され、立体になりました。立体になった宝石を、Cellに安定させて埋め込む技術の進歩が見られているだけです。両者は同じ考え方で、宝石を留めています。研磨技術の違いが良く解る箇所があります。「キリスト騎士修道会十字章」のファセットに研磨されたガーネットは、複数の石が、ひとつのCellに埋め込まれています。他方スキタイのジュエリーは、一つのCellには、一つの石しか留めません。石と石の間に隙間が生まれ、密閉することが出来ないからです。また、スキタイのジュエリーは表面に金を張っていますが、それは装飾面だけでなく、叩いて伸ばしやすい金の属性のためであると思います。大きなギャップを密閉するためであったと考えられます。「キリスト騎士修道会十字章」のCellと宝石は、隙間なく細工されて、僅かに叩くだけで埋めこまれています。
1,700年代(ナポレオン登場以後は除く)のポルトガル、スパイン、フランス、ベルギー、イギリスなどのジュエリーが、写真(1)に見るように、船底のような形をしているのは、和久ノートで説明している「技法」のためです。宝石を埋め込み、中に密閉空間を作ったため、どうしても分厚い箱型になりました。その重量をできるだけ落とすための形状です。
スキタイの「Hammered cloisonne setting」がこの地方でみられることは、西ゴート王国(415年~718年)が南フランスからイベリア半島を支配した歴史に由来します。ゲルマン系のゴート族が黒海北から東ヨーロッパに居住していた時に、スキタイから伝播したと思われます。
石留についての参考記事、記事中でこの作品写真をみつけてください。
私は1,700年代のジュエリーに興味を持ち、コレクションしました。続いてご紹介します。
(42)クリミヤジュエリー(Crimean jewellery),ガーネット象嵌(cloisonne de grenats)の作りと 鳥型ブローチ(Fibule aviforme)、4世紀後半~5世紀;The Berthier-Delagarde Collection in British Museum:The British Museum(参照)
\和久ノート
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